The Road to DAZAIFU ~大宰府への道~

2009年09月11日

歴史の道・時の扉 人と神仏がともに暮らす緑の里 宇佐・国東 その3(大分県宇佐市)

3.神々習合・神仏習合は人々の融和の宇佐モデル

●宇佐は秦王国(しんおうこく)か?
 日本列島で厩戸皇子が活躍していたころ、中国大陸には隋という帝国が誕生していた。遣隋使が隋2代皇帝の煬帝(ようだい)に「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」という国書を送ったことが歴史書「隋書」に記載されているのは、教科書にも掲載されている有名なエピソードだ。

 だがもっと興味深い記述が隋書東夷伝にある。隋の使節・裴世清(はいせいせい)が倭国の都へ向かう途中の見聞録だ。
 都斯麻國(対馬)、東に一支國(一支国)、竹斯國(筑紫)、東に秦王國(中国人の国)ほか十余国を経て、畿内の海岸に到着した。道中、裴世清(はい・せいせい)は秦王国には中国風の習俗が残る土地だと知らされた。裴世清は「秦の始皇帝が、不老不死の霊薬を求めて東に派遣した徐福の子孫ではないか?」と思ったが、詳しいことは分からなかったという。

秦氏創建の木嶋神社

秦氏創建の木嶋神社

 秦王国は現在でも所在地がはっきりしない、邪馬台国ほどではないものの古代のミステリーである。比定地としては周防・厳島などの瀬戸内海沿岸、そして豊前も有力だ。そして、秦王国とは古代の有力渡来系氏族・秦氏(はたし)の国だった、という説もある。

 秦氏は日本書紀によれば、応神天皇の時代に朝鮮から渡来した一族がもとになったという。八幡大神のモデルとなった天皇が在位した時期だ。彼らの故地は加羅(伽耶)または新羅という説が近年は有力で、数百年にわたって新羅から渡来し、秦氏の部民となった人々も相当数いたと推定されている。
 秦氏の中では厩戸皇子の側近だった秦河勝(はたのかわかつ)が著名で、その根拠地は京都の太秦(うずまさ)で、広隆寺や伏見稲荷、松尾大社、木嶋神社(蚕の社)など多くの寺社を建立したことでも知られる。機織り、金属加工技術などの先進技術を列島に伝え、後の平安京造営にも尽力した…。秦氏に関して語ると、日本古代史そのままになってしまうほどだ。
 この秦氏の一族が、豊国(現在の福岡・行橋市から国東半島にかけて)を治めていた、とすると、宇佐・国東があらゆる部分において、フロンティアであることは大きくうなずける。

 現時点では、秦王国=宇佐説は学説の一つであるが、宇佐・国東の神仏習合文化の醸成とその発展の“土壌”を考える上では、なかなか魅力的だ。
 今回は秦王国についてピックアップしたが、八幡神の成り立ちや地名などさまざまな角度から、宇佐と新羅系渡来人との関係を示している学説も多い。興味を持たれた方は、中野幡能氏の著作などをご参照いただきたい。また、秦王国に関しては大和岩男氏の『日本にあった朝鮮王国〜謎の「秦王国」と古代信仰』(白水社)によくまとめられている。

 ●宇佐市に残る神仏習合の原形
 秦氏と並んで、古代宇佐で活躍した渡来氏族に辛嶋氏がある。
 辛嶋氏は香春岳(福岡県田川郡香春町)から東に移り、宇佐の稲積山へ居を構えたとされる。八幡大神は、もともといた豪族宇佐氏(宇沙都比古の子孫)による御許山の磐座信仰と、渡来系の神々との習合した神さまでもある。

 神仏習合以前に、国を超えた神々習合が宇佐・国東であった。神々が習合したということは、在地の人々と渡来系の人々が征服・非征服といった関係ではなく、(多少の衝突はあっただろうが)融和したことを物語っている。このような現象は列島各地で見られたことかもしれないが、宇佐・国東においては、とりわけうまくいったのではないだろうか。だからこそ、宇佐で神仏習合が盛んに行われ、体系化が進んだのではないだろうか。
 豊国の人々には「うまく融和できる」経験値や知恵のようなものがあったし、どんな神さま(仏さま)でも尊崇できる、信心深さと度量もあった。
 「文化や習俗の違いでいがみ合うのではなく、仲良くすることで豊かに暮らしていける」。宇佐から発祥した神仏習合の伝播は、心地よい暮らし方の宇佐モデル(成功事例)の伝播だった、というと過大評価だろうか。

わびた風情漂う稲積六神社

わびた風情漂う稲積六神社

 さて、いよいよ六郷満山の個性豊かな寺院へ旅立ちたい。が、その前に宇佐市に残る神仏習合の原点ともいうべき史跡にも足をのばしておこう。

 稲積六神社は辛嶋氏が宇佐に来て初めて建立した神社といわれる。現在の社殿には、新羅の面影はないようだが、田園の中にたたずむその姿はのどかでホッとする。鎮座する神さまはイザナギノミコトなどで「新羅の神さま」ではない。融和が進んで、時代を経た結果なのだろうが、私たちが見る限りにおいては、宇佐の風景はどこまでも懐かしい「ニッポンの風景」だ。
 すぐ近くには8世紀後半のものとされる「塑像三尊仏残欠(そぞうさんぞんぶつぞうけつ)」(国重文)などが安置される岩窟寺院、天福寺奥の院がある。天福寺奥の院は、歩いて40分ほどの山頂付近にあるが、地元の方に道を尋ねないと道に迷う可能性がある。道は険しく、軽登山する身支度をしてお出かけいただきたい。

 このほか、八面山、羅漢寺、正平寺、龍岩寺といった岩屋寺院も点在する。いずれも国や大分県の指定する重要文化財なので、見学したいところ。広範囲なので、一日や二日では巡りきれない、何度も足を運ぶか、じっくりと腰を据えた旅の計画を練ってみてはいかがだろうか。
(4. 田園風景で、宝と出会える六郷満山 へ続く

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